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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)2277号 判決 1957年3月08日

控訴人(附帯被控訴人)

被控訴人(附帯控訴人)

高崎タキ

主文

原判決を次の如く変更する。

控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し金百万円及びこれに対する昭和二十九年十一月三十日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

その余の被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分しその一を被控訴人(附帯控訴人)その余を控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

本判決は第二項に限り被控訴人(附帯控訴人)において金三十万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

訴外高崎辰男が昭和二十八年十二月十日午前零時すぎ頃横浜市金沢区谷津町十二番地国道上において、アメリカ海軍の被用者である日本人運転手今井総雄の運転する軍用車に正面から衝突し、その場に転倒して被控訴人主張のような傷害を受け、因つて同日午後十時三十分頃追浜共済病院において死亡したことは、当事者間に争のないところである。

成立に争のない甲第七号証同第八号証と原審証人京藤留治同伊藤昌良同今井総雄の各証言及び原審における検証の結果を合せ考えると、

一、前記箇所の国道は、幅員約十三米八十四でうち中央部約七米三十四は舖装されその両側は非舖装であり、ほぼ南北に通じ前後約百五十米はほぼ一直線をなし、前記衝突事故発生当時は相当雨が降つていて、他にほとんど通行人通行の自動車などのなかつたこと。

二、前記高崎辰男は、前記衝突事故発生前多少飲酒し、やや酩酊してビニールの風呂敷にて頭を覆い前記国道の舖装部分東側約一米十の地点を、国道の東側にある自己の宿舎である勤務先横浜機工株式会社の工員寮に向つて歩行していたこと。

三、前記今井総雄は、アメリカ軍所属AFFEADM九十八S号六人乗々用車(一九五一年型シボレー)を運転して前記国道を北から南え横須賀方面に向つて時速約五十粁で国道の舖装部分東側寄りを疾走して来たところ、対面より北進する自動車とすれ違い前記衝突地点に近かづかんとした際その運転する自動車の前方約四米二十の地点に前記高崎辰男を発見し、直に急制動をかけハンドルを右にきつたが及ばず、その自動車の正面を右高崎辰男に衝突せしめ、同人は一且空中にはね飛ばされ右自動車の前部エンヂン蓋の上に落下し、更に右国道の中央部附近に仰向けに転倒するに至らしめたこと。

を認めることができ、右認定を左右するに足る格別の証拠がない。しかして、自動車運転者たるものは、自動車の運転に際しては、常に前方を注視し、通行人その他を発見した場合には、直に警笛を吹鳴して警告を与え、何時でも急停車をなし得るよう速力を減じて進行し、よつて衝突事故の発生を未然に防止すべき義務あるものなるところ、右認定の事実によれば、たとえ深夜であつて通行人または通行の自動車がほとんどなかつたとはいえ前記今井総雄は右義務を怠り慢然時速約五十粁で進行し、漸く四米二十の直前において前記高崎辰男を発見したことが明らかであるので、前記衝突事故は右今井総雄の過失に因るものというほかない。控訴人は、前記高崎辰男にも過失ある旨主張するので、この点につき検討するに一般に道路を通行する者は、道路の右側を通行し同一道路上を進行し来る自動車その他に注意し、これと衝突の危険ある場合には適宜これを回避して衝突事故の発生を未然に防止すべき義務あるものであつて、前記認定の事実によれば、高崎辰男は多少、酩酊していたものであるから反証のない限り、やや注意力がにぶつていたものと認めるほかなく加うるに当時は雨が降つていたので、同人はビニールの風呂敷で頭を覆い一層注意力の及ばない状態の下にあつたこと、雨が降つていたので同人が道路上の非舖装部分をさけて、舖装部分を歩行していたことには同情すべき点はあつても不用意であつたことは明らかであり、たまたま事故発生の時刻は深夜であつてほとんど通行人又は通行する自動車がなかつたとはいえ同人にも道路通行上の注意義務を怠つていたものといわねばならないのであつて、もし同人において道路の右側すなわち非舖装部分を通行するか、少くとも前方をよく注視して本件自動車の進行を早く発見しこれを回避したならば、おそらく事故の発生を防止することができたものと認めることができるので、同人に過失のあつたことは否定することはできない。

よつて、前記高崎辰男の蒙つた損害につき案ずるに、成立に争のない乙第四、五号証と原審証人小林武同中村タマ同中村末吉の各証言及び原審における原告(被控訴人)の尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

一、前記高崎辰男は被控訴人の住所地において高等小学校を卒業し約二年間大工の見習をなし、次いで一時家業の農業の手伝いをしていたが、昭和二十五年八月頃横浜市磯子区滝頭町百七番地の実姉中村タマ方に同居し同市内のコカコーラ製造会社に勤務し、更に同年七月十三日から前記横浜機工株式会社に勤務するようになつたこと。

二、右高崎辰男は、右会社において昭和二十八年八月から同年十一月までの一ケ月平均の収入として、所得税を控除して一ケ月金九千八百六十五円八十五銭の収入があつたこと及び前記乙第四号証によれば、右高崎辰男は右期間毎月定額の健康保険、厚生年金、失業保険などの料金を支払つていることが明らかであるが、これらはいずれも後に反対給付を受けられるべき支出と認めるべきであるから、収入から控除すべきものにあらざること。

三、前記乙第五号証によれば、横浜市に居住する住民の一ケ月の生計費につき、昭和二十八年十二月の調査によれば、世帯人員数四八六人につき飲食費、住居費、被服費、保健衛生費、交通通信費、敬養文化費、交際費、煙草などの総計が金三万二千七百三十五円にして一人当り金六千七百三十五円なること。

四、従つて、特別の立証のない限り、前記高崎辰男につき、昭和二十八年十二月十日以降の収入が前記の如く一ケ月平均金九千八百六十五円八十五銭であつて、その生計費が一ケ月平均金六千七百三十五円であり、従つてその差額一ケ月平均金三千百三十円八十五銭一ケ年平均金三万七千五百七十円二十銭が一応右日時以降同人の得ることのできる純所得と認めることができること。

しかして、成立に争のない甲第一号証及び同第六号証によれば、右高崎辰男は昭和三年三月二日生れであつて前記死亡当時二十五年九ケ月であり、その平均余命は四十二年と認めるのが相当であるので、前記認定の事実と併せ考えると、同人は前記衝突事故によつて一ケ年金三万七千五百七十円二十銭の四十二ケ年分の純所得を喪失し、これと同額の損害を被つたものというべく、右事故発生当時における損害は、ホフマン式計算に従えばおおよそ金八十三万七千二百五円となるものといわねばならない。

よつて、控訴人の賠償責任につき案ずるに、右損害がアメリカ海軍の被用者である前記今井総雄がその職務を行うについて、過失によつて右高崎辰男に被らしめたものであることは、前記認定のとおりであるので、日本国とアメリカ合象国との安全保障条約第三条に基ずく行政協定に伴う民事特別法(昭和二十七年四月二十八日法律第百二十一号)第一条、国家賠償法第一条に従い、控訴人国がその賠償の責に任ずべきところ、前記認定のとおり前記高崎辰男にも過失のあることを否定し得ないので、これを斟酌するときは控訴人の賠償額を金七十万円と認めるのが相当である。

成立に争のない甲第一号証によれば、被控訴人が前記高崎辰男の単独相続をなしたことが明らかであるので、被控訴人は前記損害賠償請求を取得し、控訴人は被控訴人に対し金七十万円及びこれに対する前記事故発生の日以後完済まで年五分の遅延損害金の支払義務あるものといわねばならない。

次に、被控訴人の慰藉料の請求につき案ずるに、被控訴人には前記高崎辰男のほか長男武男三男己喜男があり、武男は農業を営み己喜男は畳職の見習として他家に居住し、被控訴人は長男武男方に同居していること前記辰男は被控訴人の二男にして高等小学校を卒業し前記会社に勤務しその寮に居住していたことは当事者間に争なく前記辰男が一ケ月金二千円位を被控訴人に送金していたことは原審証人中村タマの証言により窺い得るので、前記衝突事故により前記辰男が死亡し、これにより被控訴人の被つた精神的打撃を控訴人において慰藉すべき義務のあることは前記認定事実に照らし明らかであつて、右事情を考慮するときは慰藉料の額は金三十万円をもつて相当と考える。然らば、被控訴人の請求中損害賠償として金七十万円及び慰藉料として金三十万円合計金百万円及びこれらに対する本件訴状送達の翌日であること記録に照らし明らかである昭和二十九年十一月三十日以降完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の請求は正当として認容すべきにしてその余の請求は理由なしとして棄却すべきである。よつて、原判決を変更して右範囲における被控訴人の請求を認容しその余の請求を棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十六条を適用し仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岡咲恕一 亀山脩平 脇屋寿夫)

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